■伊藤梅子)博文の妻(37歳で日本初のファーストレディ歌人)以後4次伊藤内閣まで計4度■(明治33年正月肉筆書簡 同年10月第4次伊藤内閣発足) 節約

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■伊藤梅子 伊藤博文継妻(37歳にて日本初のファーストレディ歌人)以後4次伊藤内閣まで計4度のトップレディ■(明治33年正月の書簡 同年10月には第4次伊藤内閣発足) 山口県生。赤間関(下関)稲荷町置屋「いろは楼」の養女で芸妓見習「小梅」。英国から帰国間もない博文と出会う。美貌の梅子にぞっこんの既婚者博文は前妻と離婚、梅子を継妻とする。長女貞子(早世)次女生子を生み(養女朝子)(養子の博邦)眞一、文吉らを育てた。 博文が初代内閣総理大臣となり妻として日本初のファーストレディになる。当初字も書けない状態から書を阪正臣、和歌を下田歌子に学び津田梅子からは英語習得、英語で手紙も書けるまでになり皇后とも歌を交わすようにもなり婦徳の鑑と称さる努力家。 明治政府の元勲婦人としての教養を身につけ鹿鳴館での社交もこなし初代総理大臣の夫を支えた初代ファーストレディ。(その後3回計4回ファーストレディとなる) 1909年博文暗殺された際に梅子は涙ひとつ見せず自室で「国のため光をそえてゆきましし 君とし思へどかなしかりけり」と詠む。その後滄浪閣(大磯町)を出て東京の次女生子の嫁先の末松謙澄邸などを転々とし大正13年没した(77歳)。 ■出品書簡は明治33年正月大磯滄浪閣より朝鮮総督府小宮三保松[戦前官僚(法曹)文学研究者 (李王職次官)大審院検事(法典調査会委員)錦鶏間祗候]の妻(泰子夫人)宛で親交が厚い仲だったようであり、大磯の邸宅滄浪閣は後に朝鮮李王室に売却された事から確かではないが小宮三保松氏の影響も考えられる。 嘉永元年~大正13年梅子没77歳 ■宛先 東京向嶋小梅町227 杉山方(実家帰省中の小宮泰子宛 本名)ヤス (小宮三保松の妻)東京府士族杉山好敏の長女 慶應三年生~没年不詳 ■(宛先人小宮泰子は差出人梅子より19歳年下になる) ■書簡SIZE 19センチ×約114センチ ■古いものですのでオレ、イタミ、ヤケ、キレ、スレ、ヨゴレ、キズ、虫クイ等有ると思っての入札をお願い致します。
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